沿革
沿革
本会は、明治20年、新田医会として発足、新田郡医会、新田郡医師会と継承されて参りました。終戦后サムス准将の勧告により、旧医師会は解散を命ぜられ、昭和22年、新生新田郡医師会として、新しい歩みが始まったのであります。その後、昭和27年、全国でも甚だ稀なケースでありましたが、新田太田医師会と太田市医師会に分裂、同一地区に二つの医師会が存在するという未曾有の事態の発生を見ました。そして保険医総辞退等医療界大混乱の最中にあって、両医師会は、多くの問題を抱えながら夫々独自の行動を取って参りました。両医師会内外の関係者多数の御配慮をいただき、合併の機運が熟して、現在の太田市医師会が誕生しましたのが、昭和35年4月で、初代会長として長浜繁氏が就任されました。
太田市医師会史年表
太田市医師会史年表(平成元年~
Topics | 行事 | 主要事項 | 事業 | 会長 |
6年 | 中野正美 | |||
5年 | ||||
4年 | 中野正美 | |||
3年 | ||||
2年 | 中野正美 | |||
令和元年 | ||||
30年 | 李 雅弘 | |||
29年 | ||||
28年 | 李 雅弘 | |||
27年 | ||||
26年 | 2014 | 李 雅弘 | ||
25年 | 2013 | 一般社団法人へ移行 | 小島 章 | |
24年 | 2012 | |||
23年 | 2011 | 太田看護専門学校40周年記念誌発刊 太田看護専門学校40周年記念式典開催 | 小島 章 | |
22年 | 2010 | 太田市医師会50周年記念誌発行 太田市医師会50周年記念式典開催 | ||
21年 | 2009 | 新型インフルエンザ(A/H1N1)流行 | 小島 章 | |
20年 | 2008 | 特定健診・特定保健指導開始 | 太田市平日夜間急病診療所、土曜日診療開始 | |
19年 | 2007 | 麻疹流行、麻疹対策合同会議の活動 | 小島 章 | |
18年 | 2006 | 太田市平日夜間急病診療所開設/太田市総合健康センター管理運営業務終了 | ||
17年 | 2005 | 合併─新太田市誕生 | 乳がん検診マンモ一部導入 一部集団検診導入 | 有坂 實 |
16年 | 2004 | 風疹大流行、風しん等対策委員会の活動 | 改訂版かかりつけ医ガイドマップ作成・配布 | |
15年 | 2003 | 事務局1階⇒2階(11月) | 有坂 實 | |
14年 | 2002 | 公募創作太医シンボルマーク商標登録がオリジナルとして法的許可 | ||
13年 | 2001 | 40周年記念誌発行 太田産婦人科医会発足 | 太田献血センター“太田You愛”設立 | 有坂 實 |
12年 | 2000 | 事務局3F⇒1F 介護保険制度開始 | 太田看護専修学校(准看)閉校/太田市総合健康センタ-管理運営業務開始/太医ML「kaburaya」始まる | |
11年 | 1999 | 太田市総合健康センタ-管理運営委託/東毛太田地域産業保健センタ-開設/胃がん個別検診始まる/太田市医師会ホームページ開設 | 有坂 實 | |
10年 | 1998 | 「かかりつけ医」推進モデル事業始まる/かかりつけ医ガイドマップ作成・配布/公的介護保険認定審査会が始まる | ||
9年 | 1997 | 乳がん検診、集団を廃し個別に移行(旧太田市のみ) | 有坂 實 | |
8年 | 1996 | |||
7年 | 1995 | 鹿山徳男 | ||
6年 | 1994 | |||
5年 | 1993 | 太田市医師会25周年記念誌追補版発行 | 鹿山徳男 | |
4年 | 1992 | 厚生大臣表彰を受ける | 基本健診(個別)40歳以上始まる | |
3年 | 1991 | 太田市総合健康センタ-完成 事務局3Fへ | 太田市総合健康増進事業団設立/太田スポーツ医学研究会発足/乳がん検診個別・集団併行実施 | 鹿山徳男 |
2年 | 1990 | 太田市医師会定款成立 | 太田市医師会俳句の会設立 太田新田産業医会設立 | |
平成元年 | 1989 | 太田内科医会発足 | 栃原慶一 |
太田市医師会史年表(昭和22年~昭和63年)
Topics | 行事 | 主要事項 | 事業 | 会長 |
63年 | 1988 | 臨時総会移転決定 (事務局は総合健康センタ-3Fへ移転) | ||
62年 | 1987 | 総合健康センタ-への移転へ全員協議会開催 | 乳がん検診(集団)開始 4月基本健診(個別)65歳以上始まる | 栃原慶一 |
61年 | 1986 | 太田市医師会25周年記念誌発行 | 太田広域検診センタ-設立 | |
60年 | 1985 | 日航機墜落事故(御巣鷹山)会員動員活躍 | 藤生敬介 | |
59年 | 1984 | 健康保険法改正 | ||
58年 | 1983 | 老人保健法施行、基本健診(集団)始まる 老人保健法による健康診査・健康教育始まる | 木村嘉孝 | |
57年 | 1982 | |||
56年 | 1981 | 太田高等看護学院から太田看護専門学校へ名称変更 地方自治体の医療行政活動が活発となる 新保険点数となる | 木村嘉孝 | |
55年 | 1980 | 衆参ダブル選挙で丸茂重貞氏が当選 | ||
54年 | 1979 | 太田高等看護学院 昼間定時制に変更 | 木村嘉孝 | |
53年 | 1978 | 太田看護専修学校設立 | ||
52年 | 1977 | 定款一部改正 | 木村嘉孝 | |
51年 | 1976 | |||
50年 | 1975 | 太田市医師会立太田高等看護学院設立 | 木村嘉孝 | |
49年 | 1974 | |||
48年 | 1973 | 馬場敏臣 | ||
47年 | 1972 | |||
46年 | 1971 | 太田市医師会館設置落成 太田市藤阿久82-5 | 群馬県医師会立太田高等看護学院設立 | 小菅正雄 |
45年 | 1970 | 医師会婦人部結成 | ||
44年 | 1969 | 小菅正雄 | ||
43年 | 1968 | |||
42年 | 1967 | 高木良三 | ||
41年 | 1966 | |||
40年 | 1965 | 三吉房三 | ||
39年 | 1964 | |||
38年 | 1963 | 太田市医師会館設置 太田市本町12-8-1 (旧職業安定所跡) | 針谷繁次 | |
37年 | 1962 | 長浜 繁 | ||
36年 | 1961 | 国民皆保険制度開始 | ||
長浜 繁 | ||||
35年 | 1960 | 太田市医師会誕生4月1日 | 会長 | |
34年 | 1959 | 木村嘉一 | ||
33年 | 1958 | 木村嘉一 | ||
32年 | 1957 | 高木要翁 | ||
31年 | 1956 | 高木要翁 | ||
30年 | 1955 | 新藤清治 | ||
29年 | 1954 | 新藤清治 | ||
28年 | 1953 | 岩崎熊若 | ||
同一行政地域に2医師会並立 | 岩崎熊若 | |||
27年 | 1952 | 7月─新田郡医師会分裂 (太田市新田郡医師会) (太田市医師会) | 太田市 新田郡 医師会長 | |
26年 | 1951 | 林森太郎 | ||
25年 | 1950 | 林森太郎 | ||
24年 | 1949 | 林森太郎 | ||
23年 | 1948 | 林森太郎 | ||
昭和22年 | 1947 | 新田郡医師会 | 渡辺治生先生、県医師会長に就任 | 渡辺治生 |